愛のことば

もうこれ以上進めなくても

僕の希死念慮

ここのところあえて書いていなかったけれど、毎日泣いてしまうのはあいかわらず続いている。基本、毎日気分はふさいでいる。

 

うつの人の経験する症状の中に、希死念慮がある。僕の場合、はじめは死にたいというより、「もう死ぬしか選択肢がない」という思いが強く、

 

どうやって死ぬか、その場所や方法を、ものすごく具体的な想像が、勝手に頭に出てくるようになって、とても、とても怖かった。

 

実行するために必要なものをどこで購入するとか、どこでどうやって実行するとか、

時間帯は朝がいいとかが、

 

考えるというよりも、頭の中につぎつぎとそういう想像が勝手に浮かんで出てきて、すごく現実感をもって迫ってくる。

 

どれくらいの現実感かというと、「明日の夕方、近所のあのラーメン屋さんにいって、しょうゆラーメンと餃子を注文しよう」というような、

 

日常の中にある、すぐに出来てしまいそうな、何気ない行動に限りなく近い。

 

人によって、あらわれる希死念慮の症状の形は違うだろうと思うけど、僕の場合はものすごくリアルに「自殺の実行方法と場所」が勝手に脳裏に浮かんできてしまうというものだ。

 

僕は布団の中で震えながら声も出せずに泣いていた。怖くて怖くてしかたなかった。

 

今これを書きながらも泣いている。まだ、完全にそういう思いが想起される症状から脱したわけじゃないから。

 

もう、明日からの人生で僕に残されているのは、そういう選択肢しかないのかな、そう思うと悲しくて涙が止まらなかった。

 

どうしていいかわからず、ただ布団の中で嗚咽して夜が明けないことを願っていた。

 

 でも、願いむなしく夜は明ける。

 

どうせ夜が明けるなら、このつらい希死念慮も、なあんだ、ただの想像だったんだって、夜明けとともに無くなってくれればいいのにとどれくらい願っただろう。

 

でも、事実としてつらい想像は想像のままで、今に至っているから、つらかったけど、なんとか僕は乗り切ってきたんだ、と思う。

 

心配事の8割(9割)は現実には起こらない、っていわれてる。

 

薬を飲んで、出来るだけ眠って、頭と心と体を休めて、つらい想像は想像のまんまで、現実には起こりえないんだよって、

 

怖いけれど、大丈夫だよって、自分に言ってあげている。

 

大丈夫、大丈夫、大丈夫。