愛のことば

もうこれ以上進めなくても

人を追い詰める「正論」はいらない

前から思っていたことだけど、「正論」をかざす人が苦手だ。

言っていることはわかる、でも賛同できない。

 

自分がうつを患ったからというのもあるかもしれないが、

うつになる前から「正論」をとうとうと説く人間に対して、

嫌悪感を持っていた。

 

これは自分の中に、常に自分に対して「正論」を浴びせかけるもう一人の自分がいて、自分を責め続けている影響も大きい。(このごろ,それが自己虐待になるのだということも知った)

 

ようするに「正論」を振りかざしている人に「自分」を見ているのだろうし、

 

そして、腹の中にある、「正論」を説いている自分を認めてほしいという承認欲求が透けて見えるからなんだろう。

 

正論をぶつけてくる相手は、親をはじめとする家族・身内も多いし、学生ならクラス等の人間、教員、社会人なら仕事の関係の人間等、

 

自分が今生きている世界の中に、「そもそも~」「~べき」などの「正論」を浴びせてくる人間がいると、とても、非常に、めちゃくちゃ、めんどくさく、厄介なうえ、

 

それを聞かされているうちに、僕は全身から生きる気力を奪われていく

 

 

正論は、時として人を追い詰める。そして正論は、それを吐いた人の首を知らず知らずのうちに、真綿のように絞めていく。

 

 

誰かをたたいたり、追い詰めるための「正論」なんかいらない。

そしてそれは多分、正論のようであって、正論ではない。

 

それは平たく言えば暴力なんだ。

 

人をたたいたり追い詰めたりする「正論のようなもの」を吐く人の声はいつも大きい。

本当に正論を言う人の声は、いつも小さい。

 

人間、それが正しいかどうかだけで選び、生きているわけじゃない。

 

間違っているかもしれないけれど、たとえそれが間違いだったとしても、

 

その時それが自分にとって最善だと思うのなら、それでいいじゃないか。

 

間違いながら生きている自分を励まして、間違いながら生きている自分を愛したい。